文人・画人えにしめぐりコース

下京のまちには、俳人たちが残した句を刻んだ句碑や、文人・画家の屋敷址などがたくさんあります。
文人・画人えにしめぐりコースを歩いて、句碑を前に俳人たちに思いを馳せ、文人・画家の屋敷址の地を訪れ当時をしのんでみませんか。

文人・画人えにしめぐりコース。道順は本文の通り

  • 中川四明句碑(大宮通綾小路西入 光林寺内)

    「同じ寺の 土になる身と 薪折で」中川四明は正岡子規に師事した明治後期の俳人。この句は光林寺に眠る江戸中期の俳人太祗をしのんで作られた。

  • 住吉神社(醒ヶ井通高辻下る)

    新玉津島神社とともに歴代の天皇が歌道伝授の際には勅使を派遣した。境内に末杜人麿杜がある。

  • 円山応挙宅址(四条通堺町東入南側)

    応挙は江戸後期の画家、門人1,000人といわれる 円山派の始祖。後に円山派は呉春の四条派と京都画壇を二分するようになった。

  • 花咲稲荷社(間之町通高辻下る)

    この地は、江戸時代初期の文人松永貞徳の邸宅跡で、社名は貞徳の号花咲亭逍遥軒にちなむ。邸内にあった鎮守社だけが現在まで残った。

  • 俊成神社(烏丸通松原下る)

    この地は、千載和歌集の撰者藤原俊成の邸宅跡といわれ、毎年11月28日のお火焚祭には、俊成の画像と稲荷神を祀っている。

  • 新玉津島神社(烏丸通松原西入)

    俊成神社と同じく俊成の邸宅内にあった神社で和歌の神衣通郎女を祀る。松尾芭蕉の師である国学者北村季吟もここの祠官をつとめた。

  • 八文字屋自笑の墓(富小路通五条下る 本覚寺内)

    八文字屋自笑は、江戸中期の図書出版商で、多くの浮世草子を書いたことによって知られている。

  • 堀内雲鼓句碑(富小路通五条下る 上徳寺内)

    「日のめぐみ うれしからずや 夏木立」 雲鼓は江戸中期の俳人で“笠づけ”すなわち冠句の創始者として当時の高名な俳人の1人。

  • 大谷句仏句碑(間之町通正面 枳殻邸=渉成園内)

    「勿体なや 祖師はかみこの 九十年」 句仏・大谷光演は東本願寺の第23代法主。

  • 蕪村句碑(岩上通塩小路上る 宗徳寺粟嶋堂内)

    「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」
    江戸後期の俳人、与謝蕪村が娘の病気平癒祈願のために、婦人守護で名高い粟嶋堂を訪れたときに詠まれた句。