「西鶴」をもうならせた「吉野太夫」
京都の遊里で格別の名跡を持つ「吉野太夫」(よしのたゆう)は歴代十妓を数えますが、初代は、桃山時代、本阿弥光悦など文化人と交流のある人物。吉川英治の「宮本武蔵」では武蔵に闘争心のむなしさを悟らす人物として登場します。
二代目が江戸時代初期の人。才色兼備(容姿端麗で和歌・管弦・書道・茶道・囲碁など教養を極めた)をうたわれた有名な人物です。関白・近衛信尋(後陽成天皇の皇子)や豪商・灰屋紹益と親交があり、のちに紹益と結ばれ幸せな生涯を送ったと伝わります。
北区鷹峯・常照寺に朱塗りの山門(吉野門)を寄贈し、法華経に帰依しました。境内には墓所もあり、昭和46年、十四代・片岡仁左衛門によって紹益との比翼塚が建立されました。 今年は四年ぶりに太夫をしのんで「吉野太夫花供養」が行われました。島原からは現役の太夫が参拝。太夫道中・供茶法要などが盛大に行われました。
さて、二代目、吉野太夫が居住したその当時の遊里はどこにあったでしょうか。
(1)二条柳町
(2)六条三筋町
(3)島 原
正解は市民しんぶん下京区版「下京のひびき」令和5年7月15日号に掲載します。
2023.09.26