文子天満宮 ~天神信仰発祥の神社~
学問の神様「菅原道真公」にまつわる地は下京区にも残されています。西洞院通高辻には道真公生誕の地であり邸宅、そして学問所でもあった場所に「菅大臣神社」(かんだいじんじんじゃ)があります。北野天満宮はじめ天神信仰の先駆けとなったのが、間之町通花屋町下ルにある「文子天満宮」(あやこてんまんぐう)です。道真没後、道真ゆかりの多治比文子(たじひのあやこ)は「われを右近の馬場に祀(まつ)れ」との道真の託宣(たくせん)(おつげ)をうけました。しかし文子は貧しく社殿を建立することが出来ず、右京七条二坊(現・西大路七条辺)の自宅に小さな祠(ほこら)を建てお祀りしました。これが文子天満宮の起こりです。天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられています。社殿は幾多の火災で失われましたが、その都度再建されました。現在の社殿は大正七年(1918)に造営されたものであります。
さて、多治比文子は菅原道真とどのようなゆかりの人物だったのでしょうか。
(1)道真の姪(めい)
(2)道真の乳母
(3)道真の陰陽師
▲文子天満宮
正解は市民しんぶん下京区版「下京のひびき」令和4年8月15日号に掲載します
2023.09.26