まつながていとく松永貞徳
「近世俳諧のパイオニア」松永貞徳
松永貞徳は、江戸時代前期の俳人・歌人・歌学者です。室町時代の俳諧を刷新し、新たな様式と俳諧観を確立し、貞門派の祖となりました。貞門七俳仙(貞門派の主要俳人7名)の中には、新玉津島神社(松原通烏丸東入)の神官で、俳聖松尾芭蕉の師にあたる「北村季吟」の名があります。また、昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」で、その存在感を示した戦国の雄「松永弾正久秀」は、貞徳の父である永種の父とも伯叔父とも言われています。また、貞徳の母は近世儒学の祖と言われた「藤原惺窩」の実姉だそうです。
貞徳は、連歌師・里村紹巴から連歌を、九条稙通や細川幽斎から和歌、歌学を学び、その他にも五十数人に師事したと言われています。20歳のころに豊臣秀吉の右筆(※)を務めており、慶長2年(27歳頃)朝廷より「花咲翁」の称を賜り、あわせて俳諧宗匠の免許を許され、「花の本」の号を賜っています。
晩年、貞徳は夢想で、古くから祀られていた貞徳の称号にちなむ稲荷社があることを知り、その地(間之町通松原上る)に住まいを移し「花咲亭」と呼ばれました。その折、邸内の稲荷社を鎮守社として再興されたと伝わっています。貞徳は、「逍遊軒」「五条の翁」とも呼ばれ、私塾を開いて俳諧の指導にあたりました。松永貞徳屋敷内にあった鎮守社は、皇室とも縁が深く、近年、社殿を新しくされ信仰を集めています。
さて、問題です。松永貞徳の屋敷跡に祀られてきた稲荷社の名称は何と言われているでしょうか。
① 松永稲荷神社
② 五条稲荷神社
③ 花咲稲荷神社
※武家の秘書役を行う文官で、文章の代筆が本来の職務
正解
このクイズは,京都検定1級をお持ちで区にゆかりのある方に出題していただいています。
※市民しんぶん下京区版「下京のひびき」令和3年9月15日号掲載時の内容です。
2021.09.15