あんようざん きみょういん安養山 帰命院
森徹山の墓所「安養山 帰命院」
佛光寺通大宮西入、帰命院は浄土宗のお寺です。門前の石柱には「きミやう院」とあります。『拾遺都名所図会』巻一では「開基は雄蓮社文譽上人。慶長年中草創なり」との説明と、本尊の阿弥陀仏は運慶作であること、また当時この寺で頒布した「小児五香湯」という薬の効果が著しいのは寺の名の「帰命」にふさわしく、高い評判であることが記されています。
帰命院には江戸後期の絵師、森徹山(1775〜1841)夫妻の墓があります。徹山は大坂の絵師、森周峰の子として生まれ、のちに森狙仙の養子となりますが、円山応挙の優れた弟子「応門十哲」に名を連ね、猿、鹿、鶴など動物を好んで描き、のちに絵師集団の森一派をなして勢力を誇りました。また徹山の養子となった森寛斎は長州出身で、幕末の国事にも奔走した勤王画家と知られ、明治以降は京都画壇の中心として後進を育成しました。
帰命院は、現在までの代替わりで寺誌が失われているものの、本堂には阿弥陀三尊像の脇に後水尾院の位牌が安置され、また山門より直行する車寄せの跡が残るなど、格式高い寺であったことがしのばれます。仏光寺通に面した観音堂には「小児五香湯」ゆかりの薬師如来像が祀られ、通りがかりの地元の方々も手を合わせています。
さて問題です。次のうち「応門十哲」としても名高い絵師は誰でしょうか。
① 伊藤 若冲
② 長沢 芦雪
③ 与謝 蕪村
正解
② 長沢 芦雪
この問題は、京都検定1級をお持ちで、区内にお住まいの河本俊子さんに出題していただきました。
※市民しんぶん下京区版「下京のひびき」令和3年1月15日号掲載時の内容です。あらかじめご了承ください。
2021.01.15