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尚徳学区

組織名尚徳自治連合会

尚徳学区掲示板開設にあたって(尚徳自治連合会会長 岩佐省佑) お知らせ

学区掲示板開設にあたり、一言御挨拶申し上げます。 日頃は尚徳学区の地域の活性・安心安全の為に御協力及びご指導賜り厚く御礼申しげます。

さて、尚徳学区は古くから地下水に恵まれ、平安時代には多くの貴族の邸宅がありましたが、室町時代には麹屋酒屋もあり、次第に商業庶民の町に変貌していきました。江戸時代には仏具屋が様々な仏具を製造する一方で、花街もあり大変賑わっておりました。

そして、明治5年には番組小学校が出来ました。校名が何度か変わりましたが、明治10年に校名が新楊小学校(新町通りと楊梅通りの角地に建っていたため)から尚徳小学校に変わり、それに伴い学区名も尚徳学区となりました。隣接の学区とどのように分けられたのか細かい部分は不明ですが、道路、寺、大邸宅、他行政の都合により境界線が出来たものと思われます。

尚徳学区の面積は他の学区と比べれば狭いほうですが、これは江戸時代より畑は殆どなく民家が立ち並び、大正天皇の御大典時の烏丸通りの拡幅、大東亜戦争時に空襲による類焼を防ぐため、五条通りの現在北側の歩道の家屋が疎開されたからだということです。

近年、尚徳学区は大型ビルが建設され、民家が減少しましたがマンションも建ち、少しづつではありますが住民も増えてきております。自営業者が減少する一方で、会社員が増加するなど、その人員構成も変化しており、各種団体の活動方法にも改革が求められています。

平成19年4月には、京都市立下京中学校が開校され、現在約560名の生徒が登校しており、元気な部活の声や吹奏楽部の演奏が聞こえるなど、大変環境の良い地域です。

また、尚徳学区には尚徳諏訪神社があります。起源は平安時代の初め、信州諏訪大明神を深く信仰していた坂上田村麻呂が桓武天皇の命を受け、東夷平定で諏訪大明神のご神威、御加護により戦果を挙げられたお礼にと、現在の地を信州諏訪大明神より勧請されたと伝えられており、尚徳諏訪神社役員が交代で、境内の清掃と尚徳学区民の幸福を願い、年4回大祭を行っております。

現在、下京中学校校舎が尚徳自治連合会各種団体の拠点であり、各種会議、体育振興会サークル活動、大災害の避難訓練と備品倉庫、地域女性会の文化活動等に使用しております。尚徳自治連合会は17団体で構成されており「住んでよし、働いてよし、訪ねてよし、学んでよし」をモットーに、隣近所の絆を深め、防犯、防災、健康増進、交通安全、ボランティア活動を行っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

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